1月27日はエジプト・アラブ共和国の祝日「革命記念日」です。
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「革命記念日」はどんな日?
「革命記念日」は、2011年1月25日に起きたエジプト革命を記念する日です。最終的に強権的なムバラク大統領の政権が打倒されました。中東地域の民主化革命「アラブの春」の一つです。
エジプトでは1月25日がもともと「警察官の日」として祝日になっていました。これは1952年のイギリス軍への抵抗運動の際に、国民を保護したエジプト警察を称える日でした。当時のエジプト政府はイギリスの操り人形のような状態が続いていましたが、警官の犠牲の上に政府が倒されました(1952年エジプト革命)。
しかしその後、相次ぐ中東戦争の混乱の中で1981年にホスニ・ムバラク大統領が就任し、独裁体制を築きました。ムバラクは外交や経済政策で一定の成果を残しますが、言論の弾圧、汚職、また警察官の暴力などによって人々の不満は高まりました。
チュニジアで発生した「ジャスミン革命」にも触発され、2011年の「警察官の日」を皮切りに民衆は立ち上がりました。18日間続いた激しい革命運動の末、30年にわたる独裁体制は終焉を迎えました。これ以降1月25日は「革命記念日」に名前を変えました。
エジプト・アラブ共和国ってどんなところ?
ナイル川に支えられている乾燥地帯
エジプトはアフリカ大陸の最も北東に位置する国で、地中海と紅海に面しその間にはスエズ運河を有します。国土のほとんどは砂漠気候であり、内陸部になると年に数日しか雨が降りません。
世界最長の川であるナイル川の流域では、農業が盛んにおこなわれています。古代から氾濫を利用した小麦などの生産がされてきました。近現代では、1902年にアスワンハイダムを完成させるなど施設を整え、綿花や米なども多く生産しています。
エジプトでは、紀元前3000年ごろから古代文明が栄えました。エジプト文明です。前述の通りナイル川の氾濫を利用した農業に加え、氾濫の予測や農地の配分のために暦や数学が発達し、さらに大河は国内の移動を非常に容易なものにしました。
まさにギリシャの歴史家ヘロドトスの言う「エジプトはナイルのたまもの」ですね。
スエズ運河は貴重な収入源
地中海と紅海(さらにはインド洋)を結ぶスエズ運河は、エジプト政府が管理しています。1869年に開通し、今では年間で2万隻もの船舶が利用しています。
スエズ運河を使わなければ、船でヨーロッパからインド・アジア方面に行くにはアフリカの南端を通らなければなりません。
その重要さゆえ、「スエズ運河の自由航行に関する条約」により商船・軍艦に関わらずいつでもスエズ運河を通行することができるとされています。ただし通行料は払う必要があり、エジプト政府は年間で50億~60億ドルを得ているとのこと。
基本データ
- 面積:100.2万平方キロメートル(日本の約2.6倍)
- 人口:1億233万人
- 首都:カイロ
- 言語:アラビア語(公用語)、英語、フランス語、ヌビア語
- 宗教:イスラム教84.4%、キリスト教(コプト教)13.6%
参考文献など
画像:Unsplash(特記なき場合)
データブック オブ・ザ・ワールド 2022(二宮書店)
officeholidays.com
yomiuri.co.jp
jica.go.jp
jetro.go.jp
dictionary.goo.ne.jp
Wikipedia(2011 Egyptian revolution)
Wikipedia(エジプト革命(1952年))
Wikipedia(古代エジプト)
Wikipedia(スエズ運河)