1月31日はナウル共和国の祝日「独立記念日」です。
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「独立記念日」はどんな日?
1月31日は南太平洋の島国ナウルの独立記念日です。ナウルは1888年からドイツ領であり、1920年からは国連の委任統治領(信託統治領)としてイギリス、オーストラリア、ニュージーランドに長く統治されてきました。
1968年1月31日、ナウルはついに主権を持った共和国として独立を勝ち取りました。これを記念しナウルは毎年1月31日が祝日となっており、パレードやダンス、合唱大会などが行われます。
ただし、この日は単に独立記念日であるだけではありません。「トラック諸島からの帰還の記念日」でもあります。
太平洋戦争中の1942年に日本軍がナウルに上陸し、その後およそ2000キロ離れた太平洋の島・トラック諸島(チューク諸島)に1200人の島民が連行されました。労働力として連れてこられた島民たちの多くが亡くなったとされています。
終戦を迎え、1946年1月31日にこの島民たちがナウルに帰国しました。この出来事を思い起こし語り継いでいくという意味でも、この日はナウルの人たちにとって重要な1日なのです。
ナウル共和国ってどんなところ?
南太平洋・小さなサンゴ礁の島
ナウル共和国は南太平洋のほぼ赤道直下に位置するサンゴ礁の島国で、バチカン市国、モナコ公国に次いで世界に3番目に小さな国です。周囲の長さは19キロメートルで、東京都港区ほどの面積におよそ1万人が暮らしています。
熱帯気候に属し、27℃ほどの日が年中続きます。年に2000ミリほどの豊富な降水量を持ちますが、サンゴ礁の島であるため農業はほとんどできません。リン鉱石の採掘が盛んで、輸出の約99%を鉱産物が占めるほどです。
独立と同時に定められたナウルの国旗には白い星が描かれており、これはリン鉱石を表しています。なお黄色の線は赤道を、青は太平洋を表し、星の位置はナウルが赤道のすぐ南にあることを示しています。
かつての「地上の楽園」のいま
前述のように、ナウルは海鳥のふんによってできたリン鉱石の採掘が盛んです。20世紀末までは、リン鉱石の輸出によって世界でも有数の裕福な国でした。
1980年代には、国民の1人当たり所得はアメリカや日本をも超えるレベルであったともいわれています。リン鉱石の採掘やその他商店などの営業も全て外国人の出稼ぎ労働者に任せ、一部の公務員を除けば国民の大多数が無職の状態でした。鉱石による収入で潤沢なベーシックインカムが与えられていたからです。
しかしリン鉱石が無限にあるはずはなく、2000年ごろには採掘が大幅に減少しました。リン鉱石による楽園は、深刻な財政危機と国民の肥満・糖尿病という結末を迎えたのです。
結局ナウルは先進国の支援が欠かせない状況となってしまいました。2001年には難民を乗せた船の受け入れと引き換えにオーストラリアからの経済援助を受けています。(ちなみにこれは「タンパ号事件」と呼ばれ、オーストラリアの対応を中心に国際的な非難が集まりました。)
かつてのナウルのように、資源に頼り切って莫大な富を得ている国は世界にいくつもあります。ナウルの絵に描いたような凋落ぶりは、産油国のようないつか枯渇する資源を持つ国が恐れている姿なのです。
基本データ
- 面積:21平方キロメートル(日本の約18,000分の1)
- 人口:1.1万人
- 首都:ヤレン
- 言語:ナウル語(公用語)、英語
- 宗教:プロテスタント49%、カトリック24%
参考文献など
画像:Unsplash(特記なき場合)
データブック オブ・ザ・ワールド 2022(二宮書店)
nationaltoday.com
naurugov.nr
iforex.jpn.com
business.nikkei.com
Wikipedia(ナウル)
Wikipedia(ナウルの地理)